平安時代、宮中が舞台。しかも主人公は女性…なかなか無い設定に期待値が高まる。しかしこの時代のこと、そもそも余り知らないから楽しめるか否か未知数。
とはいえ、第一回は大河ドラマらしい子供時代を描くゆっくりスタートという感じ。でも、ラスト近くの展開は酷いと思う。何だアレ的な酷さ。
安倍晴明
"あべのはるあきら"と訓読みで行くのね。中宮定子、藤原彰子も"さだこ"、"あきこ"で行くということね。
まひろ
どこから"まひろ"を取ったのだろう。紫式部の本名は残っていないから、何かに因んで付けたのだろうけれど。何だろ。
佐々木蔵之介氏の藤原宣孝
嫌味にならない塩梅のお調子者感が良い感じ。
三郎(後の道長)
なんというか本当に子供感しかないキャラ。というか髪型、服装、名前からして年齢的にも未だ子供。
「お前が男子であったらよかったのにな…」
『紫式部日記』の紫式部が漢文の知識あると自慢する際に書かれたエピソード来た!
詮子入内の夜に安倍晴明の館に雷が落ちて燃える
なのに別に動じない。安倍晴明の怖さ。ただ、これをユースケ・サンタマリア氏が演じるのは、申し訳ないけれど"見飽きた"感がある。こういう役は、なんというか"意外性"感が必要だと思うのだけれど。もちろんユースケ・サンタマリア氏が悪いわけではない。ただ、こういう意外性の無さは、だからNHKの大河ドラマなのよと言われれば納得できてしまうとは言える。
"詮子様の入内が不吉であると内裏のすずめどもが騒いでおりまする"(道隆)
…というシーンに写ってるのが二羽のニワトリなの良い。この場合のすずめとは、その前のシーンの女房たちのことを指すのね。
ニワトリは…兼家と道隆父子を表すのかな。
"慶事の折の雨風は吉兆じゃ。詮子の入内は吉である。そのように、うわさを流せ"
と言う兼家、強い。これは強いわ。
世の流れは己で作るのだ!
頭を使え。肝を据えよ。
強いけれどこう言う人は嫌い。
道兼…短気で暴力的
父兼家は、これを利用して悪い事考えているけど、それが仇となるな、これは。まあ最終的な答えは歴史だから分かっているけど、そこに至るまでの過程が大切ね。
道長と紫式部、偶然の出会い
鳥がとりもつ偶然の出会い。
まひろ、三郎…と漢字を読んじゃった!
読んだどころか、書いた!
続きを書いてとか言われても三郎、困っちゃう。
挙げ句の果てにまひろに差し出した翡翠色のお菓子について、まひろに、
三郎は貴族の子ではないのに、なぜこんなおいしいお菓子をもっているのだ?
とか言われてしまう。三郎ダメじゃん。
菓子で釣る三郎
まひろにまた会いたいのね。
足で名前を書く三郎と真っ当な漢文を書くまひろ
同じ地面に文字を「書く」ことなのに、そこから全く別のキャラが描かれているの素晴らしい演出。
三郎は文字をあくまでツールとして使えれば良いと考えていて、まひろは文字を書いた者の考えを他者に伝えるものとして考えている感じが表れているように見える描写。
すずめの噂があるとニワトリも出てくる
2回目。すずめとニワトリはセットなのね。しかし3回目は…
兼家、まひろの父に何かしようとしてる
もう今の天皇に見切りをつけて、次代の天皇に期待するということね。
菓子を忘れる三郎
落としたとか言ってる。まあ本当に持って来たのだけれど、演劇見てて落としたというのは本当だろうなぁ。あれだけまひろのこと好きそうなのに持ってくるの忘れるなんて無いから。
うーん…三郎とまひろは互いの初恋ということなのかね
どうなのだろ。
ニワトリ3回目の登場は、すずめの噂話なし
しかしそこでの兼家と安倍晴明の会話は、やはりすすめが噂しそうな内容なのが、なんか面白くて良い。
道兼、母に怒られて悲しい顔をするのだけれど…
行動は改まらない。どころか、道兼がまひろの母を殺すの?は?なにこれ。いや、これは要らない。何だこれ。これまでの流れ、台無しじゃん。いや、いくら何でもこれは無い。何だこの脚本。
道隆、道兼、三郎の三兄弟
キャラが、順番は異なるが信長、秀吉、家康を歌った、
鳴かぬなら殺してしまえホトトギス(信長)
鳴かぬなら鳴かせて見せようホトトギス(秀吉)
鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス(家康)
に綺麗に当てはまる感じかな。
道隆が秀吉、道兼が信長、三郎が家康。
姉がいない
紫式部には姉がいたはずだけれど…母代わりになったと言われているのだけれど、『光る君へ』ではそれが描かれないことになる。姉は紫式部の人格形成に影響するキャラだと思うけれど、どうなるのこれ。
道長と道隆とニワトリ
道長と道隆が2人出てくる時はニワトリ2羽。道長だけで安倍晴明に対応する時はニワトリ1羽。女房たちはスズメに例えられている。スズメはピーチクパーチク鳴くし、ニワトリには冠あるからそういうことね。