Golden Time

時はお金で買えません

【TOKYO MER】第2話 死者ゼロは今回も継続


死者を一人も出さないMER。事故による死は、一定割合以上は、医師にどうこうできることではない。これを評価指標にするのは現実的ではないし、死者ゼロを継続するMERの面々は、とんでもない博打もしくはスポーツ競技に参加させられているとしか言えない。

大事なのは目の前の命

このことを何度も繰り返して言われている。確かにそうだが、第1話と第2話を見る限り、目の前の命を

TBS系 日曜劇場「TOKYO MER〜走る緊急救命室〜」オリジナル・サウンドトラック


救う代わりに、賭けのチップとして自らと周囲の医師の命を差し出している様に見える。

クレーン

絵的に何故そのクレーン動かせないの?という感じ。落下の原因はクレーン故障ではなく、単なる操作ミスであるのに、何故かアームが動かせない状態。単に操作ミスなのに、なぜアームが動かなくなっているのか。おかしくないか?ドラマ的緊迫感を生むためだけのこの状況設定は無理がある。そして、そんな印象を持ってしまうと、制御不能のクレーンに吊られている鉄骨の描写も、緊迫感というより、白々しい感じがしてしまう。で、案の定鉄骨は落下、でも誰にもぶつからない。それはそうだ、直撃したら、即、死者ゼロが達成できなくなるから。緊迫感を出すために空中で不安定に踊る鉄骨を小道具として用いるが、それはあくまで小道具に過ぎず、ストーリーを左右するものにはならない。それを視聴者が簡単に見透せてしまうので、宙に舞う鉄骨に関する一連の白々しく見えるのだろう。

研修医が2つの部署を兼務することの是非

それ、観ているこっちが聞きたい。循環器外科とMERの兼務というのは、研修医として負荷が高すぎると思える。この兼務の発案者、喜多見の意図がもう少し明らかになるのを待つしかないのか、単に無謀なだけなのか。「人の命を救いたい」と過去に書いていたからというのが理由というのは、ならMER一本で良いと思うが。研磨が理解できない。

やるしかありません

比奈は、バックアップつまり後方支援に徹すると打合せしたはずが、音羽にまで全力で命を救えと言われてしまう。悪いタイミングは重なり成り行きから重篤な状態に陥った患者の手術をすることになる。比奈が「やるしかありません」と覚悟を見せたが…覚悟を見せたところで喜多見が現れ、事なきを得る。やるしかないからやる…これはリスクを必要以上に高める可能性がある心理状態である。しかしリスクが非常に高い状況下では、この覚悟はリスクを下げるとも言える。今回は目の前の命を救えるのは自分だけという覚悟から出た「やるしかありません」だった。朝比奈は覚悟を決めて目の前の命を救おうとした比奈を見て「よく頑張った」と後を引き継ぐ。結局、朝比奈到着までの治療は間違っていなかったが、これからやろうとしていたことは間違っていた。結果的には事なきを得た。これに対し、よく頑張ったは無い。指導する者がいないところで、実際経験を積ませるということで研修医の比奈をメンバーに入れたはずなのに、目の前の命を救えるのは自分だけという状況に追い込んでおいて、「よく頑張った」という言葉で済ませてしまうことの意味。重要な局面では必ず喜多見が現れるという保証があれば、それもあるのだろうが、放置された上で戦力として使われるのは、組織としてない。

死者は…ゼロです!

第1話から気になっていたが、このセリフが、現場ではなく、危機管理対策室の一室で、何度も叫ばれるのを聞くに、緊急医療がスコアを競うスポーツか何かで、利害関係を賭けた者たちが観戦している様に見えてしまう。「ゼロです!」の演出は、掛け替えのない命を、無機的なカウントとして扱っている。

つまり、現場はともかく都知事と厚労省と大臣は、MER出動時の死者数を賭け事のように考えているとしか思えず、怖い。味方のように描かれている都知事も怖いし、もちろんMER失敗を目論む大臣も怖い。

今はただの他人です

喜多見の元妻高輪のこのセリフ、何か少しクスッと笑える上手い表現。「今は他人です」で良い文なのに、「ただの」をつけるセンス。