新入学生と准教授というコンビはイケる…とは思うが、シリアスなようで、重くはなく、さりとてコメディ要素はほぼ見られず、何というか厚みを感じられず薄っぺらな感じがする。せっかくストーリーは面白い感じなのにもったいないような。ただ、この薄さを心地よい軽さと取る人もいるだろうから、このトーンで進むことごダメというわけではないけれど、やはり軽い。
というか、対象となる視聴者は何歳なのだろう。学校が舞台なので少年少女向けのような気もするのだが…もしそうだとすると、メインターゲットの方々にとって23時40分放送って遅すぎると思う。うーん、制作側が想定するメインターゲットはどんな層なのだろう。
赤い提灯も屋台もなく人はいるが賑やかとは言えないお祭り
いきなり異世界体験から始まるのか。タイトルに准教授と付くけれど、理路整然と数式扱ってゴリゴリ推してくる理系タイプの学者ではなく、文学部研究者の異能もので、推理ものというより、ミステリーなのか。
コックリさん
何で小学生向けのドラマを深夜にやってるの?と言いたいくらい第1話の題材がコックリさんなの違和感。このこと自体が怪異。そもそもよく考えてみれば、今回の話は、何も大したことではなく、子供達が日常で怖がったりしているだけのことで、現実的な危機が迫っていたりとかは全くない。コックリさん騒動は、冷静に考えてみれば、過去に縛られずホイホイ忘れて今を生きる児童と、理想と過去に縛られている先生とのすれ違いがベースにあった上での他愛もない話に過ぎない。まあ、そういうのも含めて民俗学の範囲と言ってしまえばその通りだが、ちょっと浅いんじゃないかと。ただ、雰囲気イケメンならぬ雰囲気シリアスなストーリーと演出でもっともらしさは出ている。
伊野尾慧氏のクセのある演技
このドラマのトーンに合っているような浮いているような、伊野尾氏の演技でこのドラマに特徴的な色が付けられている。個人的には好きだが、かなり好みが分かれそうなキャラ作りも含めた演技だと思う。
絵の数、机の数
先生の思いと児童の気持ちの温度差ということまではわかるが、忘れることも成長の証と言っちゃう高槻先生ちょっとおかしいと思う。流石に小学生は、同級生のこと忘れないはずだぞ。
空気読まない尚哉
このキャラは良い。トンデモキャラの高槻に対して特殊能力を持つキャラをぶつけるのは、一見無茶苦茶なのだが、トンデモにトンデモをぶつけることで中和することを狙っており、これはこれで上手い作戦だと思う。
歩けなくなる、言葉を失う、孤独になる
この3択!どういう基準で選ばれたのだろう。この3択を選んだ背景があれば、それを知りたい。
歩けなくなるは行動が制約されることになる。言葉を失うは思考が制約されることになる。そして、孤独になるは…何だろう。少年時の尚哉が孤独になるを選んだことは理解できる。他の2つは、制約を容易に想像できるが、孤独になるは、想像できない。しかも、孤独になると言われながら、それは間接的な現象であり、実際は、他人の嘘を聞くと言葉が歪むということ。なぜこの「他人の嘘がわかってしまう」をストレートに3択に組み込まず、「孤独になる」と表現したのか。これは祖父?の誘導と言えそう。歩けなくなると言葉を失うは選ばせないようにするための誘導。そして、人は誰でも孤独なものというオチで、ドラマの最終回を締めてきそう。
二つの能力を一度に出してくること
一度見たら/聞いたら忘れないという特殊能力キャラも、心の声が聞こえるみたいなキャラも、小説、ドラマ、アニメでいくらでもいる陳腐な設定。それを組み合わせることで新しいマリアージュを生もうとしている。第1話では2人がそれぞれの能力の概要について知っただけ。これから互いの能力を意識しつつ接近していくのが見どころなのだろう。そういう意味で新味がある。
「推察」と「推理」
理系学者モノの論理展開とは異なる、文系学者モノの論理展開の目新しさを感じる。ただ、タイトルにあるのが「推理」ではなく「推察」という言葉なのが問題解決的に弱い感じがする。