春樹は、曲作りに生かすことを目的として、自分自身が変わるために恋愛に取り組んでいた。一方の花枝は、やり残した恋愛の思い出を作ることで、手術をしても自分自身が手術前と変わらないために恋愛に取り組んでいたということか。付き合う時から、別れることに対する思いの違いがあるので、別れた後のさっぱり感、引きずり感が異なるのは納得。
春樹は曲作りに行き詰まる自身を変えるために成長することを望み、花枝はこれまで生きてきた自身を変えないため恋愛を経験して心残りなく手術を受けることを望んだ。春樹は将来のために恋愛に取り組み、花枝は思い出のために取り組んだ。この違いは最初からあったというのがポイント。
残っている取り組みは別れだけ
二発屋になるために春樹が通らなければならないと自ら挙げた取り組み。別れを期日を決めて定めていたところがミソだったわけか。取り組み開始時には、取り組みのイベントの1つとして気楽な気持ちで「別れ」を設定したのだろうな。花枝も、手術の日を想定して別れの日を設定していたが、入院が先行することに気づき直前になって日程を繰上げている。これについては花枝は悲しい感じの演出はないが、春樹は動揺していた。そういう点では恋愛経験なし感が出てリアルなのかもしれない。
父親の声が聞きたいだけ
会いたいとか話したいとか許すとかそういうのない。本当に
どんな声だったっけなって、急に思っちゃって…
ずっと離れている父親に対するこの感情は、耳が聞こえなくなるからこそなのか、それとも耳のことは関係なくなのだろうか。確かに耳が聞こえなくなるということは大きな要因だとは思うが、会いたいわけではなく声が聞きたいという感情はどういうものなのだろう。
慎吾の心のケアの必要性
とにかく花枝の心のケアを徹底していて、慎吾は全て内側に溜め込んでおり、遂に春樹に対して爆発させてしまうところまで行く。しかし花枝にはぶつけない。慎吾の心をケアする人が必要な気がするが…凛や花枝にいじられることが癒しになっていると本人は思っているのかもしれないが、そんなことはない気がする。
恋に負けるのは嫌です
恋に負けるのは嫌です。恋にひきずられたり、恋に引っ張られて何か変えたりするのも嫌です
花枝のこの感覚。病気だから生まれた感覚なのだろうか。空手の選手だったという背景から来るのだろうか。「何か変えたりするのも嫌です」の変えたくない「何か」の意味するものは何なのだろう。恋は、春樹にとっては、曲作りのために自分を変えるものだった。しかし、花枝にとっては変えないためのものだったということ。この根幹が違うから、別れの際に春樹の方が引きずったということかな。それが結果として曲作りには役に立ったと。
お盆持ってるファミレス店員役アキラ100%氏
金属製ではなくプラスティック製のお盆だった。それ以前に服を着ている(但しネクタイはしておらず、衣装の逆転が起きている)。下ネタを売りにした芸人がイメージとは違う衣装で、公共の場でキスしている男女を間近で見せられ、戸惑う役というギャップがキャスティング理由なのだろうか。
新曲は聴けない
花枝は結局、手術迄に病気について話さなかった。手術の結果によっては、春樹の新曲を聴くことができない可能性があるのに。春樹が花枝の病気を知っていたらどうしたのだろう。別れる途中で曲を仕上げ、せめてデモテープに仕上げて手術前に間に合わせようとしただろうか。花枝は、それでは本当の別れを知ることなく取り組みを終えることになり、ひいては曲の完成度に影響を与える可能性があることを踏まえて、ちゃんと別れまで取り組みを完結させたのかもしれない。自分が春樹の新曲を聴けなくなるかもしれないことを代償に。春樹は曲作りのために恋愛するという取り組みの前提の話であるので、花枝は本心はともかくそれを全うした。一方、別れた後に花江の家に向かってしまった春樹は、もはや取り組みであるという前提を越えた行動に出てしまった。互いを思う故の2人の行動の対比。取り組みの完了目的が、春樹は曲作りという未来のためのもので、花枝は思い出作りという過去のためであることも大きい。