Golden Time

時はお金で買えませんが、時間はお金で買えちゃいます。

【ちむどんどん 】第113回 豚肉のために仲直りする必要がある二人


賢秀と清恵のベタな話に時間を費やし過ぎている。もう後は豚肉が手に入れば全て解決、千客万来になるということなのだろうなぁ。確かに今の『ちむどんどん 』にとっては、何故か良い豚肉の入手が重要事項になっているが、別に賢秀と清恵の恋愛話などなく、すんなり賢秀が勤める養豚場の豚肉を出すという話にすれば、こんなに時間がかからなかったのにという感じ。

抱きしめれば伝わる

この三郎のアドバイスをそのまま実践する賢秀。何を意味する描写なのだろう。恋愛に純粋とか?他にはとてつもなく破天荒な賢秀が?とか思うが。賢秀と清恵の2人の間に前提となる言語化された互いの理解がないと、本当に抱きしめただけで愛情を伝えるのは、それは無理だな。それでは本能のみで生きる動物だから。

賢秀と清恵の関係が深まるのがもっと早ければ…

賢秀は、何回も養豚場を飛び出しては戻るを繰り返していたが、もっと早く清恵との関係が深まっていれば、賢秀は清恵のセリフからではなく、画面からの描写で真面目に働く優秀な養豚業従事者として描けたのに。その上で家族に仕事のことを隠していたとすれば良くて、暢子のピンチを偶々知って直ぐ美味しい豚肉を持って駆けつける…の方が、必然性は多少高まるのに。なぜ、こんな暢子の店が再オープンするギリギリになって一発逆転的に賢秀の恋愛と豚肉が扱われることの意味が分からない。こんなの偶然性高すぎでしょ。

ところで…賢秀は清恵のどこが好きなのか?

賢秀は、清恵のどんなところに惹かれて好きになったのか?清恵も賢秀のどこに惹かれたのか今ひとつ分からない。賢秀、清恵に限らず、『ちむどんどん 』は、人を好きになっていく過程をドラマ的に描くことをしないドラマだと思う。幼馴染、運命の再会、物理的接近…という仕掛けを描いて後は、時限爆弾のように急に結婚したいほど好きになりましたと言ってるみたいに。他のドラマのようなエピソードの積み重ねが圧倒的に足りない。描写が足りないのは恋愛だけでは無いけれど。

豚肉が違うだけで沖縄そばの味が全く変わると

そうでもしないと話にならないのは分かるが、試食メンバーが、和彦、矢作、歌子、智。皆、沖縄料理を散々食べ慣れた人たち。そうじゃないのではないか?新規オープンの時、東京の人に合う味にしたが、それが誤りだと分かったら、東京の人の試食は要らないの?信金の坂田の出身は知らないけれど、坂田にも食べさせたら?資金繰り心配してくれた坂田に文句言わせない味を見せると言う意味でも。ドラマ的に、今度の沖縄そばの味は、東京の人も納得できる美味しい味だと言うことを描かないとダメな気がする。食べ慣れた人たちにとって美味しい沖縄の味なのは分かったが、それで客が入る保証はあるのか?ここは沖縄県出身者が多くいる鶴見ではないのだが。サンサン商店街の人々に味見して貰えば良いのに。まともにサンサン商店街の人たちが関わったのは、賢秀の痴漢騒動の時というのが、暢子たちの相変わらずの身内意識の強さを表している。

とりあえず懸案だった美味しい豚は手に入った

なんというか、暢子が八方手を尽くして探したとか、和彦が記者の経験を活かして探したとか、美味しい豚肉に出会うまでのドラマを描くことはできた。しかし描かれたのは、とびきり美味しい豚肉が向こうからやってきましただからもうね。

美味しい豚肉が手に入ったら、微妙な味のバランスが変わるのではないの?

以前は試食に何号とかつけていたけれど、今回は、豚肉だけ美味しい猪野養豚のものにしただけで、一発合格なの?試食なんかも作り直しは描かないの?豚肉の味、脂の風味が変わったら、出汁の取り方、塩味他、味のバランスが変わるのではないの?何で再度の試作の繰り返しなしでみんな笑顔で完食してるんだ?前は試作多すぎてもう食べられないとか言ってたじゃん。

しかし、互換性あるようにしておかないと、沖縄そば以外の豚肉料理が全て味の見直しが必要になるから、そういうわけにはいかないのだろうな。沖縄そば以外は、既に"美味しい"味つけだったのだろうから、今までの冷凍肉を空輸し続ければ良いんじゃない?特にラフテー等の豚肉が持つ味が大切な料理は、空輸された冷凍肉で美味しい味付けを確立したのだから、猪野養豚のものは使わない方が良い。

第113回の終わり方

暢子が妙な笑顔で、

みなさんに宣言します!このお店の当面の目標は…

と言って、それを矢作が引き継ぎ、

友達や知り合いだけじゃなく、知らないお客さんで満席にする

と言う。それを暢子が、

その通り

と言って、皆が席を立ち拍手する。この時の暢子の笑顔も含めて、この感じ、宗教や独裁政治の雰囲気が出ている気がするのは自分だけなのだろうか。世界が自分達だけで閉じているのだよね。

そもそもの話

猪野養豚場の豚肉を『ちむどんどん 』が手に入れることができるように、賢秀と清恵がくっつく話に時間を割いているが、メニュー、料理の味、特にイチオシの沖縄そばの味が良ければ客は入るというのは、もはや揺るがないのか?休業前は全く客が入っていない描写があったが、その時の味は、客が寄り付かないほど美味しくなかったと言うのか?一応こだわった味のはずなのに?沖縄料理の味がそもそも東京の人には慣れない味だったということはないのか?少なくとも、新規開店前には良く考えて東京の人に合う味にしたのに美味しくなかったのなら、本来の味にしても、あまり変わらないということも十分あり得ることだが。沖縄県にゆかりのある人ではなく、東京の人に対し試食を積極的にすべきだと思う。田良島も重子も沖縄の人ではないが、沖縄料理を食べ慣れてしまっている人たちばかり。清恵はお代は要らないと言われての感想だし。もし本当に味とメニュー見直しが全てと言うならば、暢子と矢作と歌子で味を考えても打破できないのではないだろうか。そもそも最初はその3人で味を決めて失敗しているのだから。やはり、赤字にしないためには味以外の要因も考慮すべきで、『フォンターナ』の二ツ橋も信金の坂田もそれぞれの視点でアドバイスしていたのだが、余り効いていない感じなのが気になる。わざわざ描いていると言うことは、制作はその視点も必要だと認識している。それなのに暢子はちゃんと対応いないのは、意味があると思うのだが。今のところ、単に暢子が無謀な人という以外に考えられない状況。