"自分のことは自分でする"の舞による実践編。浩太が大阪でも実施することを言い出す。妻めぐみのことを思って出た自発的なものみたいだが、舞との電話の後の会話なので、これは祥子というか舞に感化されたのかもしれない。
- また寝坊か?
- ビワ取り
- ビワとシークアーサー
- いちごジャムの次はビワジャム
- むっちゃん
- 教会でミサ
- 長距離電話
- 自分のことは自分で
- 失敗は問わない
- 舞はまだ自分から何かをやりたいとは言わない
- 舞は今回は走らず
- 髪留め
また寝坊か?
…と思ったら、ちゃんと起きた。7時、そして体温も問題なし。今日は、祖母の手伝いの日。つまり休日も目覚ましで起きられるようになった。自分のことは自分でする習慣がついてきた。まあ、手伝いとは言え、舞にとっては楽しいイベントなのだろう。
ビワ取り
これは楽しいお手伝い。びわということは初夏の撮影かな。落としたら拾えば良い、次は手が届くだけで良いという、祥子の余計なものがないアドバイスが良い。
この一連のビワ採り、祥子は脚立を支えるだけで採ってカゴに入れるのは手伝わない。祥子は自分のことは自分でを徹底している。ついでにビワジャムを瓶に入れるのも一人でやらせる。先回りしてサポートしたり禁止するめぐみとの対比が効いていて良い。祥子は先回りしながら、舞なら大丈夫、できると任せている感じ。
祥子が言う、一人暮らしだからなんでも自分でやる。島のみんながいるから寂しくない…この辺りに自分のことは自分でやれの真意がありそう。つまり、互助的組織がある上での自分の方は自分でやるということ。何から何まで自己責任というわけではなさそう。
なんとなれば、祥子は、一人暮らしだったが、家族と暮らしているのに疲れ果てた第1回、2回のめぐみより孤独ではない感じがする。家族と暮らしていたからこそかな。
ビワとシークアーサー
暢子はシークアーサーをジャンプして取ろうとして取れず大人にとってもらったが、舞は脚立で自分で取ってたのか。
いちごジャムの次はビワジャム
どこで売っているのだろうと思ったら、ちゃんとタイミング良く、船着場の売店で販売するものだとわかる。必要な説明がナチュラルでよい。春から初夏へという流れかな。ドラマ世界でもどれくらい時間経過してるのかな。季節的には重なる部分もあるから、ごく短期かもしれないし。
今後、季節のジャム作りで時間経過を表すのだったら面白そう。
むっちゃん
うーん、誕生日におめでとうのメッセージがないのか。売店で長崎で働く恋人を思うと言うさくらさんのこの微妙な遠距離恋愛、どうなるのかな。ストーリーの本筋からは恐らくどうでも良い話であるが、気にはなる。しかし、さくらとむっちゃんの通信手段はポケベルかぁ。なるほど。
教会でミサ
連続テレビ小説という枠内で誘うのか否か…と思ったが、一太の母が誘う。祥子も公認と言うか後押しし、ミサに行くことに。祥子も一緒に行っているの良い。祥子は、やろうとしていた作業をやめて舞のためになると思ったことをさせるということだから。
昔、たくさんのキリスト教徒が移り住んだ五島列島。今も島のあちこちに教会があり、五島は祈りの島ともいわれています
これ、敢えてあっさりしたナレーションにしているのだろうな。
長距離電話
まだ小学生だからなぁ、電話代かかっても、祖母の家と親の家で電話で話すのは仕方ないというか当然。日曜の夜なのかな。この電話は定例になるのだろうな。
自分のことは自分で
…父浩太がこれを言ったら、兄の悠人は、父ちゃんは何するのかと問う。一方の舞は、なんでもできるようになりたいと言い始めた、こういうところが、一々反論する悠人と、なんでも受け入れる舞とは違いなのかな。
失敗は問わない
ビワ取りもビン詰めも最後はちゃんとでくっことなったやろ。失敗ばずっとは悪かこっちゃなか
祥子は、最後にちゃんとできれば良いとは言っていないのかな。そうであれば、ここがポイントかな。失敗したらさらに先に進むか戻るか、やめるかを選択肢に残した深みがあるように思う。
この失敗は問わないという祥子のスタンスは、めぐみがまだ島にいた時からなのかな。それとも、めぐみと縁が切れてからの考えなのかな。
舞はまだ自分から何かをやりたいとは言わない
これが、今後どうなるのかな。どこで自分のやりたいことを言うのかに注目してる。
それにしても、舞は実は好奇心旺盛な少女だったというのを、わざわざめぐみに抑圧されていたところから描くのってなかなか来るものがある。
舞は今回は走らず
穏やかな回でした。明日は走るかな?
髪留め
舞は着けるのやめた?