Golden Time

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【麒麟がくる】第37話 三淵藤英かっこいい回


足利義昭…悲運だし、信玄は無念だろうな。三方ヶ原で勝ってるからなぁ。まあ、信玄は、無念も何も気づかないまま天国行きだったのかもしれないが。ほんと義昭運が悪…あぁ、将軍になれたのだから、幸運か。ただ、収支がトントンになっただけかもしれない。アルジャーノンに花束をみたいな概念。

三淵藤英、相変わらずかっこいい

兄弟で戦えという信長の命令は、色々な意味に取ることができるが、こういう命令も含めて、かっこいいなぁと。あくまで下手に出る光秀も合わせてかっこいいなぁ。しかし1年後、居城を取り壊し。その際の達観もかっこいい。まあ、本心は、演じている谷原章介氏がかっこいいというだけなのだけれど。

書状を書き続ける義昭

何か…何故かわからないが、その感情は、分かる気かする。自分のためであるのに、世のためと本心で思っているような感覚。そんな義昭の扱いを、信長は、家来を何人かつけて追放すれば良い程度にしか思っていないのがなんとも。

苦虫を噛み潰したような光秀

信長と接する時の顔…かなり苦しげ。今回は度々見るなぁ。こいういの蓄積していくんですよね。

正親町天皇と蘭奢待

信長から贈られた蘭奢待を、信長と敵対する毛利輝元に贈れとか、相変わらず天皇は信長を子供扱いだなぁ。まあ、子供扱いだけれど、正親町天皇のやってることも子供みたいだなぁと。

まあ、それはそうで、正親町天皇は、信長より前、毛利から援助を受けていたし、そもそも武家の力を借りなければ、財政的に何もできない窮状であったのだから。そんな鬱屈した思いが、子供扱いの気持ちとなるのは仕方ないことだろう。しかし、『麒麟がくる』では、あまり天皇家が財政的には武家に依存しなければならない窮状が目に見える形では出てこないので、正親町天皇が曲者のように見えるが、仮に曲者であっても、財政的基盤がなければ何もできない。戦国時代では、それは武力である。これはいみじくも、この回で追われた足利義昭が示している。この義昭の没落と正親町天皇の曲者ぶりが同じ回で描かれているのは、なかなかの演出だと思える。

正親町天皇が信長を子供扱いしようが、何をしようが、蘭奢待の切り取りを許可した…これが、両者の立場を表しているのである。口で何をいうかではなく、行動で何を示したか。これで直接的な力関係は分かる。この辺りを、『麒麟がくる』では、本当にうまく描いている。正親町天皇も義昭も、結局は同じなのだと。つまり、光秀は、義昭の時に感じた信長の苦々しい思いを、正親町天皇の時にも味わうことになる。そして、義昭から、義昭側に来いと言われたが信長側に戻ったことを反面教師として、正親町天皇側についたとしたら…本能寺の変、正親町天皇黒幕説になるのですね。

アインシュタイン

朝倉景鏡(手塚とおる氏)のアインシュタインモノマネが見られるのは、『麒麟がくる』第37話です。検索用メモとして残しておきますよ。