Golden Time

時はお金で買えませんが、時間はお金で買えちゃいます。

【コントが始まる】第4話の対比構造


第4話は、10年前と現在の対比の嵐だった。

f:id:cure_researcher:20210509010732p:image

左が現在、右が10年前。全く同じ構図。

10年前及び生と死の対比

①真壁先生の子供の誕生と瞬太の母の死。

②高校時代の商店前でしゃがんでアイス食べる姿と火葬場で待つ間しゃがんでスナックを食べる姿。

③出産を見届けた後の帰路の車中と火葬後の帰路の車中。

次の世代(太一)の誕生と上の世代(瞬太母)の死。自分を挟む上下の世代の生死を1つの回に入れてくる。全て10年前と現在、生と死の対比。そしてこれからの10何はこれまでとは比べ物にならないくらいキツイ10年だと言う話まで入っている。これ、自分たちもついこの間、生まれたと思ったら今の状態だよ、モラトリアム続けてうかうかしているとあっという間に人生終わるよというメッセージに見える。この人生の対比だけで第4話は話をつないだと言っても過言ではないとてつもない構造。

その他の対比

①コント「捨て猫」中の猫にタマと命名することを手抜きと言うことと、真壁先生の子供に太一と命名することを手抜きと言うこと

これ、潤平や瞬太がなら分かるが、比較的画数の少ない春斗が言うの面白い。逆に一番文字数が多い瞬太はそれを言わない。まあ、画数多いと名前書く時大変だしね。また、親とうまく行っていないから名前にも愛着持てないかもしれないし。こう言うところ根が深そう。そして、このエピソードを自分が作ったコントに入れてくるのやはり屈折してる。

②高校時代の夏の日、3人でアイスを食べて、車に乗って病院に行き、夜に帰ると言う一連の流れと、現在、3人で車に乗って火葬場に行き、スナックを食べ、夜に帰るという一連の流れ。

③例のカバのブランコ。今回は瞬太とつむぎ。第1話でグデングデンに酔っ払った里穂子が春斗といたのがブランコの隣のベンチ。第2話で潤平と奈津美が靴飛ばしの話やマクベス解散の話をしたのもこのブランコ。同じく第2話でマクベスの3人で歩いてる際、ブランコの前を通る。また、第3話で引きこもりの里穂子をつむぎが連れ出しているシーンでこのブランコの前を歩く。また、潤平が真壁先生に相談の電話をするのもこのブランコ。しかも、いつも夜。昼のブランコは出てこない。そして、ブランコに座るのは、まだ2例だけだが、向かって右が男、左が女になっている。春斗と里穂子は、ブランコの近くにはいてもまだ座ってはいない。しかし、流れからみていずれ座ると思われる。

このブランコ、漕いでいる時は楽しいし、勢いも感じられるが、漕いでも漕いでも前進しない、止まってみれば最初の位置から1メートルも進んでいない。暗闇のままのマクベスの状況の暗示のような気がする。この漕いでいる時は楽しくて、勢いも感じられるというのが厄介だということが、真壁先生の体験談から明かされるの怖い。

瞬太の髪の色

①急いで病院にかけつけた時は金髪。

②葬儀の時は黒髪。

③ミートソースをご馳走になった時は金髪。これ、時系列的にどうなの?①②と来て③と考えるのが普通だが、ならば②と③の間の時間はどれくらいなのだろう。葬儀からそれほど時間をおかず③だと思っていたが、その場合、瞬太は母親の嫌う金髪をやめたのは葬儀の時だけで、すぐに戻したことになる。これはつまり、母親を多少は許したが、全て水に流すほどには許しておらず、好きなように生きる姿勢は変えないということになるのかな?