Golden Time

時はお金で買えませんが、時間はお金で買えちゃいます。

【カムカムエヴリバディ】第18週 1984-1992


今週は、一気に1984年から1992年までと8年間飛ばす週。しかし、最初の第83話は、1話使って1日も描いていない。何という時間配分なのだ。続く第84話も相変わらずの1984年夏を描き余り進まない。

結局、第18週は、五十嵐が、オーディションで大役ではないがセリフと役名のある役を掴むが、その後はチャンスがないまま8年経過して20代が終わろうとしており、焦りとともに苛立ち始めるところまでが描かれた。一方のひなたは、榊原と共に、美咲すみれをプロデュースし、お化け屋敷企画も成功させ、仕事が波に乗っている。五十嵐の徒労感とひなたの充実感というそれぞれの仕事に対する思いが大きく違っており、次の第19週が怖い。

episode 083 (2月28日)

オーディションでの殺陣

虚無蔵がまず黍之丞役を演じることの怖さ。その中で左近として力強い殺陣を見せる五十嵐。そして遂に、虚無蔵が左近に…。そこで二代目モモケンが介入し、モモケンと虚無蔵の対決に。五十嵐の左近の殺陣が力強いと思いきや、本家虚無蔵の更なる力強さに圧倒される…という展開なのだが、観ていてもそれがわかる。演出もあるが、そもそも先週の前座的な殺陣を観ていても五十嵐の力強さは分かるし、虚無蔵の殺陣は更に上をいってると分かる。

親父談義

算太が二代目モモケンに、自分の父金太のことも踏まえて、父親のことを話すの素晴らしい。これにより、算太は二代目モモケンの中に入り込むことができたのか…偶然すぎる出会いなのだが、それがまた算太らしいで済まされてしまう便利な役。映画館がガラガラなのは、不人気だったからと納得できるので違和感もなし。また、このシーンをここに入れることで、二代目モモケンが虚無蔵に嫉妬していることを視聴者は確信できる。

ジョーとトミーの対決と、虚無蔵と二代目モモケンの対決の違い

ジョーとトミーは、東京進出、更にその先のアメリカ進出をかけた対決をした。これは未来を求めた上昇志向の対決。一方、今回の虚無蔵と二代目モモケンの対決は、二人共が20年間背負ってきたものに対する精算の意味の対決。

虚無蔵が凡人化している

二代目モモケンとのやりとりの際、虚無蔵ではダメと言われて、虚無蔵は、無名やからか、セリフが下手やからかと問う。これ、何かイメージ違う。二代目モモケンは、父を越えるために自分の左近を探しに来たと言うその後のやりとりも何か違う感じがする。もやもやが晴れない。

あなたと話がしたかったんです

二代目モモケンと虚無蔵のやりとりに、もやもやしてて、次のシーンでモモケンとひなたが二人きりになるシーンになり、モモケンがひなたを呼び止め、「待ってください。あなたと話がしたかったんです」なんて言ったらもう次のセリフを期待するのだが、「to be continued」だって。相変わらず焦らすね。

今回、ひなたが、ほぼモブになっていたからこそラストシーンが光るというか、気になる。連続ドラマとしてはこれ以上ない展開。

虚無蔵に対するモヤモヤ

結局、二代目モモケンと虚無蔵とのやりとりは、20年と言う長期間にわたって互いが互いを嫉妬していたと言うことなのだろう。その際に、今の立場の違いを踏まえつつも、虚無蔵がふっと本音を漏らしてしまったということではないだろうか。ドラマだから運命で済ますこともできるが、実際に20年は長過ぎる。モモケンがスターは大部屋なんぞに軽々しく声などかけないと言うのも、モモケンのプライドなのだろうと思う。このセリフが嫌味でないのは、初代と虚無蔵との殺陣を観て二代目が泣いていたシーンが挿入されているからこそ。このシーンがあるから嫉妬からのセリフと理解できる。嫉妬が背景にあるからこそ、スターは大部屋なんぞに軽々しく声などかけないというモモケンのセリフが、「つまり初代に声をかけられた虚無蔵は上手い役者だと認められているのだよ。悔しいことに」というメッセージになっている。そんな言外の意味を汲み取って虚無蔵は「恐れ入りました」と返したのだろう…けれど、やはりもやもやする。いくらなんでも裏読みしすぎな感じがする。少なくとも、当事者ではないひなたは微笑むことは出来ないのではないか?

episode 084 (3月1日)

道場で正座してのひなたとモモケンとの対話

モモケンはスターだから当然上座。しかし、対話の内容はモモケンがひなたにお礼を言うものになっている。その流れで算太とるいがあんこで繋がっていく。しかし、あんこのおまじないをひなたは知らなかったのは衝撃。自家製あんこを使った回転焼を生業にしながら、「おいしゅうなれ」は、るいにとって禁句だったということか。しかし、逆にモモケンがあんこのおまじないをそらんじているとは…さすが役者、セリフ覚えが良い。

るいと算太を繋ぐのは、ひなたとモモケンなのか!

一人が繋ぐのではなく、二人がかりで繋ぐというのは新鮮。

算太とモモケンの出会いは共に父を思い泣くところから

『妖術七変化 隠れ里の決闘』での初代二代のモモケンの葛藤と、『たちばな』における算太の葛藤。どちらも名前を守ることに関係するが、モモケンは跡を継いで泣き、算太は後を継がずに泣く。

姿を消す算太

【ナレーション】それきり算太はひなたの前に姿を現しませんでした

せっかく会う機会だったのにと思うが、仕方ないか。算太はるいのこれまでの人生を知らない。お金持ち逃げした相手の安子が店の奥にいるかもと思ったかもしれないし、そうでなくても安子の影がちらついてしまい逃げるしか無かったのか。そもそもるいと算太が会うことが幸せとは限らない。勘は良い算太なので、雉真のお嬢様であるはずのるいが「大月」の店を切り盛りしていることから、色々察することはできるだろうし。

ただ、惜しいのは、算太がるいの焼いた回転焼を食べなかったこと。これは残念。視聴者としては、回転焼を食べて、るいのあんこの評価を聞きたかった。

これで算太の登場は終わりなのかな。モモケンが覚えたあんこのおまじないが、どこかでるいに繋がるのではないかな。しかしその時は既に算太は行方不明と。それが算太だから仕方ない。算太だけにこの年のクリスマスが勝負かな。「妖術七変化!隠れ里の決闘」の封切りが年末ならば、映画館で会うとか試写会で会うとかワンチャンあるが…

負けたがちょっと逆転する五十嵐

オーディションで左近役は取れなかったが、モモケンの推薦で役名のある役を得た。肉を切らせて骨を断つって感じかな?いや、違うかな。脚本を食い入るように見る五十嵐を横で見ているひなたの表情が良い。口調と言っていることはこれまで通りだが、表情に優しさという情がこもっている。

モモケンによる抜擢の理由が、オーディションで虚無蔵とペアだったことにより、五十嵐に迷惑をかけたことが理由なのか否かが気になる。

episode 085 (3月2日)

すみれ対一子

すみれ対一子の戦いは、先制攻撃をかまして去っていく一子の勝ち。というか、ベリー時代から基本一子はこんな感じだからな。そして、最後に良いところを持っていく。「それが一子」の言葉だけで納得できるキャラ。しかし茶道の師匠を演じる市川実日子氏はかなりのプレッシャーというかお茶の練習をしたのだろうなと思う。

「大女優」というぐい呑みに「助太刀」という銘柄の酒

すみれの飲んでいる酒とぐい呑み。軽く流せば良い小道具なのかな…それとも意味があるのかな。BGMとなる蕎麦屋でかかる有線も、1回目は「もしも明日が…。」だったのが、2回目は遂に「悪女」になった。悪女とは誰なのだろう。直接的には一子とすみれが思い浮かぶが、蕎麦屋でひなたがすみれに付き合っている時点では、五十嵐にしてみれば、仕事が終わったら寄ると言っていたのに一向に来ないひなたが悪女と言える。

「大女優」と「助太刀」は、前者がプライド高き女優のすみれを指し、後者が五十嵐の練習に付き合うと言っていたひなたを指すのかもしれない。しかし、すみれは現状は大女優にはなれておらず、また、ひなたも一度も道場に行っていないので、助太刀にはなれていない。その意味で、「大女優」と「助太刀」は、2人のなりたいのになれていないものを象徴しているのかもしれない。

何か上手く切り上げるひなた

何度も帰りが遅くなった原因のすみれのお茶のお稽古。これ、終わるといつもすみれの愚痴に付き合わされていた。しかし、3度目は、なぜか突然泣くという大技を使って上手く切り抜ける。今日こそはと、道場に着いたがやはり五十嵐は帰った後。それで落ち込んで、とぼとぼと家の通りまで来たら…という展開。

寂しいだろ。ばか

なんというパワーワードを五十嵐は出してくるのか!その前に涙を浮かべ、ぐちぐちと仕事のことを愚痴るひなたも可愛いと思えてしまう。嫌味な感じであったり白々しいシーンにもなりそうなのに、ひなたは可愛らしく、五十嵐は男らしく見える。これは、演出マジックなのかな。そもそもオープニング曲前に、夕方になっても道場に来ないひなたに膨れっ面してるのからして、五十嵐はあざとさ全開であり、最後の「寂しいだろ、バカ」であざとさが肯定的に受け取れるようになっている。ひなたも、五十嵐に詫びるわけでもなく、自分のせいではないと言うかのようにぐちぐちと仕事が大変と涙を溜めて言い続けるのも言い訳じみて変な話なのに、可愛く見えてしまう。これはやはり演出マジック。

気が抜けてへたるひなた

五十嵐の突然の抱擁と告白の後、気が抜けてへたるひなたが、正座してしまうの良い。道の真ん中で横向きに正座したのが何とも言えず良い。何というか、武士の佇まいなんだよなぁ。

この第85話でひなたと五十嵐の間は、グッと縮まったどころか、ゼロ距離になった。急すぎる感じもするが、それもまた良いと思わせるほど、ひなたの正座は良かった。

るいもジョーも一切出てこない

ひなたの身体を心配するるいやジョーのシーンがあっても良さそうだが、一切出てこない。映画村がひなたの人生のほとんどを占めているということだろう。

吊り橋効果的な何か

ひなたと五十嵐は、オーディションにおいて吊り橋効果的なことが起きたのかな?そう考えると、るいとひなたもトランペッターコンテストで同じことが起きたのではないかな。そう考えると好き合うきっかけって不思議。稔と安子はそうではないか。

episode 086 (3月3日)

一年後の変化

一年経って1985年になったことをPL学園の試合で表す。満員の映画館、ポップコーンはひなたと五十嵐で共有。ひなたの文ちゃん呼び。桃太郎の「お兄ちゃん」呼び。環境は、大きく変わっている。

そして、風鈴買ってあげるからの…抱擁。風鈴はジョーとるいの時にも鍵になった。お姫様コンテストを絡ませて「今度は斬るなよ」という洒落も効いている…が、2人の仲が変わりすぎてて観ているこっちが困る。

リメイク版の左近

ヒットしたらしいが、新しい左近は奇声を発するし、ルックスは髭面で野性みが強く、虚無蔵とはかなり異なる左近だった。これが二代目モモケンが作った二代目左近。虚無蔵ひいきの眼で見れば、ちょっと…と言う感じ。

ちょっと変わった朝食シーン

朝食シーンは毎度だが、今回は違う…夢オチだから。夢はかなり大きく、これが現実とかけ離れているものとして描かれているのがなんとも厳しい。

5年経過

桃太郎高校入学と、米米CLUBの「浪漫飛行」から、時代は一気に飛んで1990年。5年経ったが五十嵐は大部屋のまま。ひなたも映画村の業務部勤務。

時代劇以外はやらない五十嵐の志

このこだわりのため、五十嵐は自分で自分の首を絞めているのか。この第86話開始時点では五十嵐は、セリフのある役を演じた24歳だったのに、突然、大部屋でセリフがないままの29歳になっていた。人生の岐路にいきなり立たされたように見えるが、実際は5年間。これは長い。一方、ひなたは新しい企画を求められるほどになっている。

想いのすれ違い

ジョーとるいのケースと似ているようで違う感じがする。ひなたとるいは近い。ジョーと五十嵐も、共に行き詰まったという点では同じだが、ジョーに現れた症状は身体の異常であるが、五十嵐は心身には問題なさそうで、将来の自分とひなたのことに対する"このままで良いのか"という思い詰めた気持ちが2人の距離を生んでいる感じ。

5年間の長さ

映画館で五十嵐と仲良く観終わった際のひなたの左少し前からの横顔と、5年後の五十嵐との関係がギクシャクしたto be continuedが入る際の横顔が、シンクロしているように見える。前者は、五十嵐の活躍に満ち足りた顔、後者は五十嵐の焦りを感じているが何もできないもどかしい顔と対比的なのが辛い。しかも何故か、前者は映画館内で薄暗く、後者は陽の光が入った休憩室で明るいという、ひなたの気持ちと真逆なのがまた辛い。前者はその後、五十嵐は大月家でご飯食べているが、後者はその前に、ひなたが家でご飯食べようという誘いを五十嵐が断っている。対比、対比、対比。

バブル期をすっ飛ばす脚本

なんというか、なんというか、思い切ったことするな。1985年夏から1990年春まで一気に飛ばしたか…ちょうどバブル期。もう少しバブルは続くが、あと1年もない。五十嵐は、というかひなたも20代後半をバブル期に過ごしたことになるが、楽しいことは少なかったのかな。ひなたと出会った時とは違う気難しさが出てて気になる。

あと、雉真繊維はどうなったか…が気になるな。繊維不況を乗り越えられたかどうか。

episode 087 (3月4日)

ノストラダムスの大予言

謎の小芝居、今回は夢オチではなく、テレビを見ながらの想像だった。るいの時も謎の想像はあったが、ひなたの時は小芝居感が強い。るいは読書家だったが、ひなたはマンガやテレビばかりだったから、想像力不足ということか…というのであれば、今であれば、マンガやテレビは想像力を失うのかという話になるが、当時なら、こんな考えもアリか。

相変わらず小夜子が好きな桃太郎

『サラダ記念日』まで出てくるが、1987年と5年前の出版。ベストセラーで5年前の本だからこそ、国語準備室にあったのだろう。これが新刊だったら違う感じがするかもしれないから、ちょうど良い古さなのかな。

セーラームーン!

BGMでアニメ『セーラームーン』の『ムーンライト伝説』!これは1992年感出てる。大月ひなただから"月"繋がりもあるし。

ごめんね素直じゃなくて

夢の中なら云える

今回の夢の話とリンクしていそう。また、ラストのお化け屋敷の日当を渡すシーンで、五十嵐がひなたに愚痴る際の五十嵐の気持ちがまさにこれではないだろうか。

ひなたには何言っても良いと思っている可能性がある五十嵐

五十嵐が本音を口にできる相手はひなたしかいないというのは分かる。どうしようもない行き詰まりを感じているのもわかる。そんな描写の後のタイミングで、ノストラダムスを信じるか信じないかに絡ませて、ひなたは告白するが…何というか間が悪い感じもしなくもない。やはり、途中で挿入されたアニメ『セーラームーン』の『ムーンライト伝説』の歌詞、

ごめんね素直じゃなくて

夢の中なら云える

が五十嵐の心境を表しているのだろう。

バブルが弾けている

結局、言及されることはなかったが、ひなたの就職からお化け屋敷を始まる時点までに、バブルが始まり終わっていた。五十嵐にとっては、時代劇俳優にこだわって、しかし芽が出ず悶々としている間にバブルが始まり終わっていた。敢えて描かなかったのだろうが、もしこれから転職しようとしても、就職氷河期が待っている。ジョーとは違う意味で五十嵐は働かないことになるのか?バブル真っ最中は描かず、弾けることはリアルに描かれる可能性あるな…。

やさぐれてる五十嵐ではなくひなたを見ると…

ひなたは、大部屋俳優を生かすお化け屋敷企画を発案し、通し、一定の成果を上げているようなので、会社に貢献しているのだよなぁ。五十嵐とのこの差がどう出るのかだなぁ。

ひなたとるいは、堅実に仕事をしてお金を稼いでいる。五十嵐とジョーはアーティストで収入は不安定。その意味で母娘は似ているのか。

美咲すみれの活躍

結局、榊原の執念なのか、「京都茶道家殺人事件」で殺される側だったすみれが、「茶道家 水無月ぼたんの事件簿」では、主人公となり事件解決しているらしい。ちょくちょく反発していたが、ちゃんと茶道の稽古も行ってきたお陰だろう。継続は力なり。